商店街の沿革

地区の歴史

 豊平のまちは、1857年(安政4年)に幕府の命により豊平川東岸(現在の豊平橋より)の渡し守兼通行や取扱人に任じられた「志村鉄一翁」が定住したのが始まりです。

 豊平川西岸の渡し守吉田茂八翁と共に札幌開祖のひとりと伝えられています。開拓使設置以来、室蘭街道(現国道36号線・明治6年(1873)開通)を中心に港に陸揚げされた建設物資や、近郊の恵庭・北広島・旧豊平村(現在の月寒・平岸付近)方面から当時の札幌に農産物を運ぶ時の中継基地として、また1918年 (大正7年)の定山渓鉄道の開通により、札幌の中心部を流れる豊平川以東の交通の要衝として発展してきました。

商店街の歴史

大正7年に定山渓鉄道が開通し、豊羽鉱山開発と定山渓の木材運搬のほか、定山渓温泉利用者も増え、豊平は定山渓観光起点の街として商店街が形づくられてきました。豊平橋より現在の国道36号沿い10丁目付近まで街道両側は、農機具・馬具・蹄鉄・鍛冶屋、味噌・醤油醸造の工場や商店が立ち並び、札幌市街らは廉価な飲食・宿屋等が軒を並べ、徐々に農業から商業の街へと変化してきました

1950年代頃の(昭和20年代から40年代)商店では、年末年始の大売り出しは、大晦日までその年の品物を整理したり、よく日の新年の準備をしたり、二日の大売り出しの品物の整理と、寝る間もない程の忙しさと熱気のあるものでした。その頃の大売り出し・初荷の時などの宣伝は、早朝暗いうちから馬そりに樽を乗せ、この樽をたたいて豊平の街(特に国道36号沿い)を歩くという方法でした。一月二日の朝は、おまけ付きくじを引いたり、品物を買いに来る老若男女が店にあふれていました。

戦後になり自動車の進展から1969年(昭和44年)定山渓鉄道線の廃止、1971年(昭和46年)札幌市電豊平線廃止により人の流れも変わり、昔の大売り出しの姿は消えてしまいました。

明治・大正・昭和の時代と共に商店街も変遷をしてまいりましたが、豊平地区には古くから豊平一・二丁目商工会、豊平中央振興会、豊平二条通商工振興会が夫々相互協力しながら商店街の発展に努めてきました。

更なる発展のため、札幌市経済局の指導をうけた豊平商店街の上部団体、札幌市商店街振興組合連合会は昭和35年創立以来、各地の未結成商店振興会設立を働きかけ、豊平地区も組合設立の気運が高まり、幾つかの商工振興会が一つになって、昭和40年5月29日「豊平商店街振興会」を設立。

その後、社会経済情勢と豊平地区の今日的発展に対応し、かつ地域住民の要請に応えるためと、豊平地区再開発に地元住民と共に推進するために従来の自然発生的な商店街の形状から脱却し、法人化を進めることとなり、昭和56年1月18日に「豊平商店街振興会」を発展的に解散し、同日「豊平商店街振興組合」を設立されました。

商店街のこれから

 時代が移り 今の豊平のまちは マンション等の林立でビル化された街並みが形成され、往時を偲ぶことはむずかしくなりました。商店の数も以前よりぐっと数を減らし、ついに加盟店数は100店舗を下回るようになりました。

しかしながら、私たちはこの豊平の地域に根差した商店街であることは確かです。加盟店舗数が減ったとしても、これからも地域の皆さんの暮らしを支え、この豊平のまちの活性化を目指し活動を続けてまいりたいと考えています。

 目を凝らして見ると街角の所々に軟石づくりの建物 煉瓦煙突 神社仏閣など、街の歴史を垣間見ることができます。良い天気の際は、ぜひとも豊平のまちを散策してみてはいかがでしょうか。

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